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夜行バス

作:逃げ馬






 あるバス会社・・・・営業所長の机の前に車両の管理部長が立ち、所長にファイルを見せている。
 「所長・・・・このままではこの混雑時期に・・・・」
 管理部長が額に汗を浮かべながら言うと、
 「・・・・他の営業所はどうなんだ? こちらに回してもらえる車両はないのか?」
 「ありません・・・・」
 管理部長が首を振ると、営業所長は背もたれに体を預けながら思わずうめいていた。
 「うーん・・・・・まずいぞ!」
 営業所長は管理部長に視線をやりながら、
 「この時期はどの便も予約で一杯で増便をしている・・・・回せる車はないだろう・・・・」
 所長は立ち上がると、ブラインド越しに窓の外に目をやった。ハイデッカー車両の高速バスが車庫を出て行く。所長の視線は、車庫の隅に停まっているバスで止まった。
 「あの車を使うしかないだろう・・・・」
 「まさか・・・・」
 管理部長が驚きの表情を浮かべた。手にしているファイルが震えている。
 「あの車は・・・・あんなことが起きたのですよ?」
 詰め寄るよ管理部長に、
 「だから、用途を限定して使えばよいだろう?!」
 所長は窓を離れると再び椅子に深く腰掛けた。大きく息をつくと、
 「・・・・増発のあの便に使えば大丈夫だろう・・・」
 「しかし・・・・」
 管理部長は躊躇いがちに、
 「あれに乗る運転手が・・・・いますか?」
 大きく息をつくと、
 「あのバスであんなことが起きたのは、どの運転手も知っていますよ!」
 「大丈夫だよ・・・・」
 営業所長がニヤリと笑った。
 「・・・・方法はあるさ・・・・・」



 ここは、営業所の乗務員控え室。
 管理部長が掲示板に、乗務員の乗務予定を張り出していた。運転手たちがその様子を見て、掲示板の前に集まってきた。
 「うわ〜・・・相変わらずキツイ割り振りだな・・・・」
 壮年のベテラン運転手が顔をしかめる。
 「仕方がありませんよ・・・・この時期はうちの会社にとってかきいれ時ですからね・・・・」
 若い運転手が壮年の運転手に笑いかけた。しばらく黙って乗務予定表を見つめていたが、
 「・・・・エッ?!」
 驚いてもう一度、予定表を見直すと、
 「戸田さん・・・・・これは?!」
 若い運転手が、一緒に予定表を見ていたベテラン運転手に声をかけた。
 「なんだ?」
 戸田と呼ばれたベテラン運転手が、若い運転手の指差しているところを見つめた。その顔に驚きが表れた。
 「これは・・・・どういうことか分かっているのかよ・・・・・」
 呆然と呟く戸田。その時、
 「おはようございます!!」
 まだ二十歳そこそこに見える制服姿の青年が人垣の間から顔を出した。
 「あ・・・・津村か・・・?」
 戸田が青年に視線を移した。その表情には戸惑いが浮かんでいる。しかし青年は、それにはまったく気がつかなかった。
 「僕は、どんな乗務に・・・・」
 津村と呼ばれた青年の指が乗務表の上をすべる。ある一点で指が止まった。
 「あった!・・・臨時の夜行・・・・大阪から福岡の天神までか・・・・」
 津村はニコニコ笑いながら勤務表を見つめている。戸田と若い運転手は、お互いに顔を見合わせると津村の横顔に視線を移した。
 「初めての長距離運転ですよ・・・・」
 津村の笑顔を複雑な表情で見つめる戸田。
 「そうか・・・・頑張れよ・・・・」
 困惑した表情で答える戸田。 そんな戸田の表情には全く気がつかないのか、津村は指で乗務表に書かれた文字を追っていた。
 「え〜と・・・・あ・・・一緒に乗るのは川村さんか」
 津村はにっこり笑うと、
 「うれしいですね。 女性ドライバーと一緒ですよ」
 津村の笑顔を戸田と若いドライバーは複雑な表情で見つめている。
 「ああ・・・・そうだな・・・・」
 若いドライバーが答えたその時、
 「おはよう!」
 可愛らしい声が後ろから聞こえてきた。みんなが振り返ると小柄なセミロングの髪の・・・・まだ二十歳そこそこに見えそうな若い女性が立っていた。
 「アッ・・・川村!」
 戸田が驚いて振り返った。川村は戸田に向かって会釈をすると、人垣の中を乗務表の張られた掲示板の前に進み出た。
 「へえ〜・・・13号車で臨時便・・・・福岡の天神バスターミナルまで・・・」
 川村は可愛らしいため息をつくと、
 「13号車を使うのは・・・何年ぶりかしらね・・・・」
 川村が微笑む。ちょうど小柄な川村を見下ろす形で横に立つ津村の鼻を川村の化粧の甘い香りがくすぐった。
 「アッ・・・・」
 突然声を上げた津村に周りの視線が集中する。
 「こ・・・・今度、福岡までご一緒する津村です! よろしくお願いします!!」
 上ずった声で言うと同時に、川村に向かって一礼する津村。
 「あ・・・・あなたが津村君?」
 川村がやさしい視線で津村の顔を見上げた。一瞬胸がドキッとする津村。
 「ハ・・・・ハイ! 今度福岡までご一緒させていただきます! よろしくお願いします!」
 直立不動で挨拶をしたあと頭を下げる津村を見ながら、川村はくすっと笑った。
 「こちらこそよろしくね・・・・あなたの人生が代わる勤務になるかもしれないわよ」
 川村は悪戯っぽく微笑むと、津村にウインクをして歩いていく。 しかし津村はうっとりと川村を見つめるだけで、彼女の一言は全く聞いていなかった・・・・。



 「この車ですか?」
 車庫に停めてあるバスを見て、津村が川村に尋ねた。川村はにっこり微笑むと、
 「そうよ!」
 「まだ新車じゃないですか・・・・もったいないなあ・・・!」
 津村はそう言うと車の周りをグルっと一回りすると、ドアから運転席に上がった。
 「もったいないなあ・・・・」
 運転席に座ってフロントガラスの向こう側の景色を見ながら津村が呟く。 走行距離を示すメーターは、まだ1万キロも走っていないことを示している。
 川村が入り口のステップに立って運転席に座る津村を見つめている。 
 「津村君は・・・・この営業所に来たのは何時からなの?」
 「エッ? 僕ですか・・・?」
 津村は運転席のスイッチをゴソゴソと弄りながら、
 「ひと月前からです・・・・それまでは、路線バス中心に乗っていましたから・・・・」
 「ふ〜ん・・・そうなんだ・・・・」
 『それじゃあ、このバスのことも知らないわよね・・・・』
 川村は心の中で呟いた。
 「・・・OKですね・・・全部正常に作動します」
 津村はステップに立つ川村に視線を向けた。川村も小さく頷くと、
 「じゃあ、掃除をしましょう! 出発まであまり時間がないからね・・・・」



 その日の夜
 夜のバスターミナルにハイデッカーのバスが街の明かりをキラキラと反射させながら入ってきた。エアブレーキの音を響かせながら、前に止まっている同じ会社のバスの後ろに停まった。ドアを開けるとキュロットスカート姿の川村がドアから降りて、バスターミナルで並んでいる乗客に声をかけた。
 「お待たせしました・・・・臨時・福岡天神行きです♪」
 微笑みながら乗客に声をかけると、車体の横にプラスチックの板で出来た表示板を付けた。それを見た乗客たちが集まってくる。川村はバスの前で乗客たちのチケットをチェックすると、
 「ご乗車・・・ありがとうございます♪」
 可愛らしい微笑をうかべて乗客に一礼した。運転席に座っている津村も乗客に会釈をした。しかし、乗客は訝しげな視線で津村を見つめると、自分の席に向かって歩いていく。乗客が次々に乗り込んでくる。川村はチケットをチェックし、また乗客の大きな荷物を車体の下のトランクにしまったり忙しく走り回っている。しかし、乗客の誰もが津村に対して冷たい視線を向けていた・・・・そして、その乗客たちは・・・?
 「いったい・・・なぜ?」
 津村は運転席から立ち上がると、客の応対をしている川村に、
 「川村さん、このバス・・・・なぜ女性ばかり?」
 「だって・・・・」
 川村は微笑みながら車体に付けられた表示板を指差した。
 『レディースカー』
 「な・・・・なんだよ? これ?!」
 「今日の臨時便は女性のための専用車・・・だって男の人が一緒だと、夜行バスでは眠り辛いでしょう?」
 「それは・・・・そうですけど・・・・」
 津村が窓越しに車内を見つめる。車内の乗客たちから投げかけられる冷たい視線が津村に突き刺さる。
 「・・・・そんなに・・・・睨まなくても・・・」
 肩を竦めながら呟く津村・・・・。



 バスが発車した。最初は川村がハンドルを握る。川村はその小さな体と可愛らしい顔に似合わないハンドルさばきで、大型バスをまるですべるように走らせている。
 「上手いなあ・・・・」
 津村は本来なら乗客が座る一番前の席に座って川村のハンドル捌きを見つめている。川村は細い腕で大きなステアリングを回し、その綺麗な足でアクセルやブレーキを踏んで大きな車体を巧みに操っている。
 「・・・しかし・・・・」
 津村は自分の肩越しに後ろを振り返った。乗客達の冷たい視線が津村に集中している。
 「・・・そんな事をされても・・・・俺だって女性専用の車だと知らなかったんだから・・・・」
 津村は視線から逃れるように目をアイマスクで被うと、束の間の眠りについた・・・・。



 「・・・・?」
 津村はエンジン音の変化に気づいて目を覚ました。
 アイマスクを取るとフロントガラスの向こうに、高速道路のサービスエリアの照明が見えた。川村がチラッとこちらを見て微笑んだ。川村はエリアに書かれた白い枠の中に車をピタリと停めるとドアを開けた。
 『こちらで20分休憩いたします・・・・発射時刻には遅れないようにお戻りください・・・・』
 川村がアナウンスをすると、乗客たちは座りつかれた体を少しでも伸ばそうとバスを降りて行く。津村は乗客に会釈をしたが、乗客たちは冷たい視線を投げかけながら降りて行く。
 「なぜ男の運転手が乗っているのよ・・・・」
 外からそんな声が聞こえてくると、さすがの津村もイライラして来た。
 「津村君!」
 川村が微笑みながら津村に缶コーヒーを差し出した。
 「川村さん・・・・」
 津村は川村を恨めしそうに見つめていた。
 「どうしたのよ・・・・ちょっと疲れた?」
 津村は缶コーヒーを開けると一気に飲み干した。気管にコーヒーが入って少し咳き込んだ。川村は津村の背中を優しくさすってった。
 「どうしたのよ・・・」
 その声は、少し笑いを含んでいた。
 「僕は・・・なぜお客さんにあんな冷たい目でみられなきゃいけないんですか?!」
 津村は座席を蹴り上げたい衝動に駆られたが何とか堪えた。川村は小さくため息をつくと、津村の後ろに回って優しく肩をもみ始めた。
 「お客様にきちんと接して、安全に送り届けるのがわたしたちの仕事よ・・・・」
 津村の顔を川村が横から覗き込む。息がかかるほど顔を近づけながら、
 「あなたは男の子だからね・・・・大変かもしれないけど、頑張ろう!」
 川村の可愛らしい笑顔を見てドキッとする津村。川村に向かって小さく頷くと、立ち上がって運転席に行き、チェックをはじめた。そんな津村を川村は微笑みながら見つめていた・・・・。



 夜の高速道路を大型バスがすべるように走って行く。
 時間はすでに午前1時を過ぎていた。
 乗客たちは、すでに眠りについている。座席の周りのカーテンを閉めて自分の空間を作っている。
 川村はフロントガラスの向こうの風景を見つめていた。ヘッドライトが闇を照らす。タイヤが道路の継ぎ目を拾うリズミカルな音が響く。川村は運転をしている津村に視線を移した。津村は真剣な表情でステアリングを握っている。被っている帽子のつばに夜の高速道路の照明が反射している。やがて、金色の光の粒が現れて津村の体を包み始めた。
 「始まったわね・・・・」
 川村が呟く。その間にも津村の体は完全に光の粒に包み込まれた。しかし、津村は全く気にならないようだ。視線は前に向けたまま、さっきまでと同じようにステアリングを切っている。
 やがて、川村の目の前で津村の姿に変化が起きはじめた。
 津村の着ている制服の胸の部分が下から押し上げられるように膨らんでいく。腕は細くなり、肩幅はドンドン狭くなっていく。体は一回り小さくなり、着ている制服はブカブカになっている。
 しかし・・・・津村は自分の変化に気が付かないのか、視線は相変わらず前方に向けられたままだ。
 「・・・一緒だ・・・・」
 津村を見つめている川村が呟く。
 その間にも、帽子から覗く津村の髪は絹糸のように細く綺麗に肩にかかるくらいに伸びていく。
 変化は津村の衣服にも及び始めた。その体に比べて大きかった服は、体の大きさにあったサイズに変わっていく。そして穿いていたズボンは膝の上まで短くなってキュロットスカートに変わってしまった。そして綺麗な足が、アクセルとブレーキを操作している。今や津村は川村と同じ可愛らしい女性ドライバーに変わってしまったのだ・・・。



 バスが朝日を受けて車体をきらめかせながらバスターミナルに入ってきた。停車位置にピタリと停めると女性ドライバーがバスのドアを開けた。
 「ご乗車お疲れさまでした・・・・福岡天神バスターミナルに到着です・・・・足元に気をつけてお降り下さいませ。またのご利用をお待ちしております・・・』
 可愛らしい声が車内のスピーカーに響く。女性の乗客たちが微笑みながら運転手に一礼すると、次々に降りてくる。入り口の外には川村が立って乗客に挨拶をしたり、またトランクから荷物を取り出したり忙しく走り回っていた。最後の乗客がバスから降りると、川村がバスに乗って来た。
 「お疲れさま・・・・津村さん♪」
 「お疲れさまでした・・・・もうクタクタですよ・・・・あれ?」
 微笑みながら、何か違和感を感じる津村。いつもと違うまるで女の子のような可愛らしい声・・・これっていったい・・・? 自分の体を見下ろした津村の表情が凍りついた。
 「うわ〜?!」
 座席から立ち上がって自分の体をあちこち触ってみる津村。 自分のものとは思えない綺麗な指が彼の意思に従って動く。大きな胸。細いウエスト。丸いヒップ・・・・それは紛れもなく今の津村の体だった。そんな津村の様子を見て川村が笑い出した。
 「川村さん! 何がおかしいのですか? 僕・・・なぜこんな体に・・・・」
 綺麗な瞳に涙を浮かべている津村。
 「津村君・・・・この車は以前にも女性専用車に使ったことがあるの・・・・そのときにも同じ事が起きたのよ」
 「そんな・・・・それなら使わなければ良いじゃないですか?!」
 「仕方がないわよ・・・・使える車もないし、女性になってしまった運転手も、特に問題なく適応したのよ」
 川村は小さく肩を竦めると、
 「わたしも最初は戸惑ったけどね・・・・」
 川村は津村に向かって微笑んだ。驚いて川村を見つめる津村。
 「女の子もなかなか楽しいわよ。津村君」
 「まさか・・・前に女になった運転手って・・・・」
 「そう・・・わたしよ♪」
 微笑みながら頷く川村。そんな川村を驚きの目で見つめる津村。
 小柄な体に似合わない大きな胸。きゅっと引き締まったウエスト。キュロットスカートから伸びる綺麗な細い足。背中まで伸びる綺麗な髪・・・・そんな姿の川村が以前は男だった・・・?
 「そんな・・・・馬鹿な!! 僕はどうすればいいんだよ?!」
 こうしてまた、可愛らしい女性バスドライバーがこの会社に生まれたのだった?
 




夜行バス (おわり)



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