セクハラの代償


作:逃げ馬




 街はすっかり暗くなった。
 しかし、夜のオフィス街に建つビルには、まだ煌々と明かりが灯っている。
 オフィスの中では、たくさんの男女が忙しく働いていた。室内では電話の音や、プリンターがデータを打ち出す音が響いている。
 オフィスの一角では、若い男性に制服姿のOLが後ろから囁きかけている。
 「ねぇ、今度のクリスマスだけど・・・」
 「ん・・・?」
 「よかったら、わたしの家に来ない?」
 「えっ?!」
 「二人だけで・・・クリスマスを過ごさない?」
 驚く若い男性。OLは、頬を赤く染めて俯いている。
 「ありがとう」
 男性が微笑みながら言うと、OLは嬉しそうに歩いていった。

 夜もすっかり遅くなったころ・・・。
 若い男性と、女性が暗い廊下を歩いていく。二人はエレベーターホールにやってきた。男性が下に向かうボタンを押した。
 「アッ!」
 女性が声をあげる。
 「どうしたの?」
 「忘れ物しちゃった・・・ちょっと待っていてね!」
 女性は足早にオフィスに戻って行く。誰もいない廊下にヒールの音が響く。
 『ガチャッ』
 ドアを開けた。誰もいないオフィスの中は真っ暗だ。その中にコンピューターのファンの音が響き、ディスプレイの明かりだけが室内を照らしている。
 「あった!」
 彼女は、自分のデスクの上においてあったシステム手帳をハンドバックに入れると、部屋を出て行こうとした。
 「?!」
 入り口に向かって歩き出した彼女は、驚きのあまり声にならない声をあげた。暗いオフィスのドアの前に脂ぎった顔をした中年の男が立っている。
 「部長・・・?」
 「フフフッ・・・この時を待っていたよ・・・」
 暗いオフィスの中で、コンピューターのディスプレイの光が部長を照らす。
その光を浴びながら、部長はにやりと笑った。それを見つめる彼女の表情は引きつっていた。部長が彼女に近づいていく。
 「・・・」
 彼女が後退っていく。その顔には恐怖心が表れている。暗闇の中で、部長が彼女に抱きついた。
 「いや・・・やめてください・・・人を呼びますよ・・・」
 蚊の鳴くような声で言うと、彼女は何とか部長から体を引き離そうとよじっている。
 「呼べるものなら呼んでみろよ・・・誰も俺には逆らえないさ・・・」
 部長は彼女の柔らかい体を撫で回している。彼女は嫌悪感に押し潰されそうだった。
 突然、ドアが開いた。
 「おい! 遅いじゃないか・・・」
 そう言った、若い男は中の様子を見た瞬間、驚きで声が出なくなった。
 「アッ・・・助けて!」
 彼女が、必死に叫ぶ。『これで助かった』そう思ったのだが・・・。
 若い男は、あまりのことに声が出なかった。自分の上司が、自分の恋人を抱きしめている・・・ショックで体が動かなかった。
 「おい・・・邪魔をするとどうなるか、分かっているんだろうな!」
 部長が凄む。
 「真一君!」
 彼女が叫ぶ。
 しかし、男は黙ってドアを閉めてしまった。驚きで声が出ない彼女。にやりと笑って向き直る部長。『フン』と鼻を鳴らすと、
 「さあ、これで邪魔は入らないよ」
 再び彼女を抱きしめた。
 「そんな・・・」
 絶望感と悲しみに襲われる彼女・・・彼女の大きな瞳から、涙が流れていた・・・。

 翌日。
 会社に出社した彼女は、薄いピンク色の制服に着替えると自分の席に座ろうとした。その時、
 「おい・・・めぐみ・・・」
 彼女を呼ぶ声に振り返ると、スーツに身を包んだ若い男が立っていた。彼女は悲しそうに男を見つめている。
 「昨日は・・・」
 「もういいわよ!」
 彼女は、プイッと前を見つめた。オフィスのドアが開いた。部長が上機嫌で入ってくるのを見た瞬間、彼女が立ち上がった。
 「おい!」
 若い男が声をかけたが、彼女はそのまま部長の机に向かって歩いていった。部長が気づいて顔を上げた。
 「やあ・・・おはよう!」
 上機嫌で彼女の顔を見上げる部長。彼女は、封筒を机の上に置くと部長の前に押しやった。
 「これは?」
 怪訝な表情で彼女を見上げる部長。封筒には、『辞表』と大きく書かれている。
 「辞めさせいただきます・・・長い間お世話になりました」
 彼女は、頭を下げると席に戻って机の整理をはじめた。驚いてオフィスにいる社員たちが彼女を見つめている。
 「おい! めぐみ!!」
 若い男が彼女に声をかける。しかし、彼女は男を振り返りもしない。
 「おい!」
 男が彼女の肩に手をかけた。彼女は男の手を振り払うと、
 「触らないでよ!」
 厳しい声で言うと、黙々と荷物を整理していく。
 「悪かったと思っているよ・・・」
 「そうなの・・・」
 彼女は、男の顔を見ようともしない・・・そして、彼女の机はきれいに片付いていった。

 夕方、彼女は、会社を出ると母校である“純愛女子学園”に足を向けた。心が傷ついた彼女は、純粋だった学生時代の思い出を自然に求めたのかもしれない・・・。
 彼女は、そこで中学生から大学まで生活を送った。広いキャンパスの中には、立派な礼拝堂があり、そこで登下校時に聖母像に祈りをささげていた。彼女はここで先生たちに、
 「あなたたちが苦しんでいるときには、必ず聖母様が助けてくれますよ」
 と教えら、彼女もそれを信じていた。そして、今、彼女は会社で上司にセクハラを受け、それを見た交際していた男性は彼女を助けもせずに、見てみぬふりをしていた。彼女の心はズタズタに傷ついていた。
 彼女の頬を涙が伝う。誰もいない夜のキャンパスを、彼女は礼拝堂に向かって歩いていた。
 礼拝堂には、ぼんやりと明かりが灯っていた。立派な・・・しかし古い扉を開ける。
 『ギイーッ・・・』
 重い扉を開けると、彼女は礼拝堂の中に入っていった。礼拝堂の中は、思ったより明るかった。
 彼女は、通路を歩くと聖母像の前に進んでいった。その前に跪くと大きな瞳から涙が溢れ出す。
 「聖母さま・・・」
 絞り出すような声で呟くと祈りを捧げた。
 「聖母さま・・・お願いです・・・わたしをこの苦しみから助けてください!」
 彼女は、顔を上げて聖母像を見つめる。
 「・・・そして・・・あいつ達に天罰を・・・」
 彼女が再び祈りを捧げる。その時、聖母像からまばゆい光が放たれたのを、彼女は気がつかなかった。

 若い男と部長は、その日も夜遅くまで残業していた。
 若い男は、彼女が会社を辞めてしまったことにショックを受けていた。それを忘れるためにも、その日は必死に仕事をしていた。仕事を終えた同僚たちが、挨拶をしてオフィスを後にして家路につく。
 その日は、最後にオフィスを出たのは、若い男と部長だった。
 「まあ、気にするなよ!」
 廊下を歩きながら、部長が声をかける。二人は、エレベーターホールにやってきた。部長がボタンを押すと、エレベーターがこのフロアーに移動していることを示す表示が点いた。
 「おまえほどの男なら、すぐに新しい彼女が出来るさ! あれくらいで会社を辞めるような女・・・別れて、かえってよかったんじゃないのか?」
 部長は、でっぷりとした腹を抱えながら笑った。
 「はあ・・・」
 男も気のない返事を返す。
 「元気を出せよ!」
 部長が笑顔を男に向けながら言った時。
 『チーン!』
 エレベーターのドアが開いた。二人は、一歩足を踏み出して思わずその足を止めていた。
 エレベーターの中に何かいる。それは、まばゆい光に包まれた聖母だった。
 「なんだ・・・これは?」
 部長が呟く。若い男は、思わず一歩足をひいた。その瞬間、
 「!!」
 光の中から何かが飛び出した。それが二人のおなかに突き刺さる。
 「なんだ?!」
 思わず部長が声を上げる。光の中に立つ聖母から、チューブのようなものが二人のお腹に繋がっていた。
 「部長!」
 若い男が声を上げる。
 「早くこれを外すんだ!」
 部長が声を荒げる。二人は、必死にチューブを外そうとするが、チューブは伸びるだけで二人のお腹から外れない。
 聖母から放たれる、まばゆい光が二人を包む。チューブのようなものを通じて、何か暖かいものが二人のお腹から体に注がれていく。
 「ああっ・・・」
 思わず二人が声を上げる。暖かいものに包まれるような、恍惚とした状態になっていく。
 そして、二人の体が変化し始めた。
 部長のでっぷりとしたお腹は、スリムになり細く括れていく。
 脂ぎった顔は、細くツルツルになり眉は細く弓形になり、瞳は大きくなっていく。
 「なんだ・・・いったい何が?!」
 パニックになる部長。
 そうしている間にも、サラサラの髪がどんどん伸びていきストレートのロングヘアになる。
 「ああ・・・」
 髪を両手に握って驚く部長。しかし、その綺麗な髪を握り締めている手も、見慣れた無骨な手ではなく。綺麗な・・・まるで女性のように細く綺麗な手だ・・・。
 胸が変化し始めた。何もなかったはずの胸が、大きく膨らんでいく。それとは逆に、股間にあったものが溶けるように消えていく。
 「そんな・・・」
 自分の胸に手をやる部長。そこには、柔らかい塊があった。そして、自分には“触っている”感覚が・・・。
 そして・・・。
 「部長!」
 若い男が声を上げた。いや・・・男だったはずの女性だろうか? その声は、可愛らしい女性の声だった。部長が振り返る。そこには、男物のスーツを着たショートカットの女の子が廊下に座り込んでいた。しかし、そのスーツが、まるでモーフィング画像のように変化していく。
 白いカッターシャツは、柔らかい白いブラウスに。そして、紺色のスーツは、ピンク色に変化してベストになっていく。
 「ああっ・・・そんな!」
 声を上げる若い男だったはずの女の子。
 スーツのズボンは短くなりピンク色のタイトスカートになっていく。細く綺麗な足には踵の高い靴を履いていた。そこには、この会社の制服を着たショートカットのOLが座り込んでいた。
 「部長・・・」
 「おまえ・・・」
 呟くように言った部長は、自分の声も可愛らしい女性の声になっていること
に気がついた。
 「なんて格好をしているんだ」
 「しかし・・・部長も」
 「何?!」
 自分の体を見下ろす部長。そして気がついた。自分も、ピンク色の制服を着たOLの姿になっていることに。思わず自分の体を撫でまわす。
 「ああっ! なぜ・・・」
 その時、廊下に人の気配がした。振り返る二人のOL。二人の男性社員がこちらに歩いてくる。
 「おっ!」
 「可愛い子だな」
 「見かけない娘だな」
 怯えた目で男性社員を見る二人のOL。
 「フフフッ」
 二人の男性社員がOLに近寄っていく。
 「やめて・・・来ないでっ!!」
 必死に叫ぶOL。

 そのころ・・・。
 「あら・・・めぐみじゃない!」
 礼拝堂の後ろから声がして、彼女は祈りをやめて顔を上げた。
 「あっ・・・先輩」
 彼女の女子大時代の先輩が、二人の男性と一緒に立っていた。
 「どうしたの? こんなところで?」
 彼女は、涙をぬぐうと、
 「えっ・・・ちょっと久しぶりに来たので、お祈りしていこうかと・・・」
 「ふう〜ん・・・」
 先輩は、すべてを察したように彼女を見つめていた。
 「そうだ・・・わたしたち、これから食事に行くんだけどあなたも来ない?」
 「えっ?・・・いいんですか?」
 「もちろん。ちょうど、男の子も二人いるし」
 先輩が笑う。
 彼女は、立ち上がると先輩たちと一緒に楽しそうに礼拝堂を出て行く。
 聖母像は、慈しむような眼差しで、彼女たちを見下ろしていた。




 こんにちは! 逃げ馬です。
 センター・コートを書き終わって、「気分転換に軽いストーリーを書いてみよう」と思って、このSSを書いてみました。
 センター・コートとは正反対の物を書いてみたいと思っていると・・・こんなストーリーになりました(汗)
 さて・・・この後は? また、何か書いてみたいと思います(笑)
 では、また次回作でお会いしましょう。

 なお、この作品に登場する団体・個人の名称は、実在のものとは一切関係のないことをお断りしておきます。

 2001年12月 逃げ馬





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