フェイシャル



:逃げ馬








 夏も終わりに近づいていたある日、その散髪屋も、今のこの国のご多分に漏れず、不景気の荒波を受けていた。
 「ハーーーッ・・・・」
 頭がすっかり白くなった初老の男が新聞を見ながら大きくため息をついている。呆然と天井の蛍光灯を見つめると、
 「不景気だからなあ・・・・この店もどうなるのか・・・」
 彼は店の中を見回していた。明治時代からこの場所に店を開いてこの街の人たちの頭を散髪してきた。しかし、この不景気では、近くに安い大衆理容が出来たこともあって、一回3000円するこの店からは、街の男性たちの足は次第に遠のいていった。今では、客足は日に数人というところまで落ち込んでいる。
 「ハーーーッ・・・・・」
 頭を抱えてため息をついた男に向かって、
 「お父さん!」
 清潔そうな白い服を着たショートカットの髪の女の子が心配そうに男を見つめている。
 「美貴・・・」
 顔を上げた男の目に、娘のキラキラと輝く綺麗な瞳が見えた。
 「元気を出して!!」
 「そんなことを言われてもなぁ・・・・」
 力なく笑う男に、
 「こんな事をやっている店だってあるのよ!」
 美貴が新聞を父親に手渡した。彼は訝しげな表情をしながら新聞の記事を見つめている。
 「ホーッ・・・こんな事を・・・」
 驚いて前に立っている娘を見上げる父親。
 「そうでしょう? アイディア一つで、お客さんは増えるのよ・・・」
 娘の微笑む顔を見つめながら、父親は決断をしていた。
 「よーし・・・・一丁やってやるか! おまえも近頃は腕を上げたしな!」
 父親の言葉に、美貴は力強く頷いていた。



 一ヵ月後

 「どうだ・・・これなら客足も向くだろう?」
 父親が顔に満面の笑みを浮かべながら美貴を見つめている。美貴も微笑みながら父親を見つめると小さく頷いた。彼らの前には、以前とはすっかり様子の変わった理髪店がある。以前の古く薄暗い印象から、明るい色の室内と大きな窓で清潔な明るい店に印象が変わっている。そして、何よりも変わったのは、今まで一つしかなかった入り口が二つになり、事実上2件の店になったことだ。
 「・・・おまえも腕を上げた。これからは頼むぞ!」
 父の言葉に、美貴は力強く頷いた。
 「ありがとう・・・わたしも頑張るね!」
 ニッコリ笑うと、美貴は扉の一つに向かって歩いて行った。



 4人の男と、1人の女の子が、通りを歩いてくる。彼らは豪気体育大学のラグビー部の部員たちだ。
 「まこと・・・何をもじもじしているんだよ!」
 大柄な男が振り返ると、女の子に向かって声をかけた。後ろから女の子が頬を赤く染めて俯きながら歩いてくる。上目使いに前を行く4人を見ると、
 「だってさ・・・僕にこんな格好をさせておいて・・・」
 恥ずかしそうに自分の体を見下ろす女の子。Tシャツとミニスカート・・・そのスカートから伸びる健康的な脚線美。
 「何を言っているんだよ・・・可愛いじゃないか!」
 長身のがっしりした体格の男がニヤニヤ笑いながらまことを見つめている。まことは、頬を膨らませると、
 「だってキャプテン・・・僕は本当は男なのに・・・」
 「“男だった・・・”だろう?」
 やんちゃな男の子が、そのまま青年になったような男が笑っている。
 「おかげでうちの部にも女の子が入部した・・・」
 「だから僕は男だって!!」
 女の子が涙を浮かべながら叫んだ。周りにいる4人が笑う。
 「「「「今はうちの大学唯一の女の子!」」」」
 「ハ〜〜〜ッ・・・・」
 まことが大きくため息をついた。
 「まったく・・・うちの部員たちっていったい・・・・(--#) 」
 5人が大学通りを歩いて行く。もう夜の7時を過ぎて、あたりは暗くなり始めていた。大柄で体のがっしりした男が頭に手をやった。
 「ああ・・・・毎日クソ暑いから、髪でも切ってスッキリしたいなあ・・・」
 「でもキャプテン、この時間じゃあ、開いている散髪屋・・・ないですよ・・・」
 「そうだなあ・・・」
 ふと見ると、彼らの前にまだ明かりのついている一軒の店があった。
 「・・・丁度いい。俺、あの店で散髪をしていくよ。おまえたちは先に帰っていてくれ」
 キャプテンが言った。



 「フ〜〜ッ・・・初日は、上々ね・・・」
 美貴が微笑みながら、冷たい麦茶を口に運んだ。隣に目をやると、
 「さて・・・父さんも店を閉めたようだし、わたしも・・・」
 『カラン・・・』
 店の扉が開く音に、美貴は振り返った。
 「いらっしゃいま・・・せ・・・」
 入り口から入ってきた人物を見た瞬間、美貴はその場に固まってしまった。
 「オッ? この店は、女の人が散髪をしてくれるんだ!」
 キャプテンは、ズカズカと美貴の前を歩くと、散髪台にどっかと座った。
 「あの・・・お客様・・・・この店は・・・」
 美貴がおずおずとキャプテンに向かって言うと、
 「わかっているよ・・・閉店間際で悪いけど、さっさと散髪をしてくれよ・・・頼むからさ・・・・」
 「しかし・・・」
 「これからも、絶対この店に来るからさ・・・」
 「絶対?」
 「ああ・・・絶対! ほら、このとおり!!」
 キャプテンはごつい両手を合わせて美貴の前で両手を合わせた。美貴はため息をつくと、
 「仕方がないですね・・・」
 キャプテンの体をビニールのシートで覆うと、散髪を始めた。台を倒すと、にきび面の顔にタオルを被せて髪を洗う。
 「ハー・・・・・気持ちいいなあ・・・部活で汗をかいた後だからさ・・・・」
 「そうですか?」
 美貴が可愛らしい声で尋ねると、
 「そうだよ・・・ラグビーは体の大きな男がぶつかり合うからね・・・きついスポーツだよ」
 洗髪が終わり、台を起こしてもらいながらキャプテンは上機嫌で笑った。
 タオルで髪を拭くと、美貴は綺麗な指で鋏を握り、キャプテンの髪を切り始めた。
 「この店って、前からここに?」
 「ええ・・・以前から父がここで店を開いていたんですが・・・」
 美貴は、ビニールのシートを外すと、切った髪をはたいて台を回す。背もたれを倒すと、再びキャプテンの頭を洗い始めた。美貴の細く柔らかい指が、キャプテンの大きな頭を洗っていく。
 「わたしも独り立ちをして、女性専用の理髪店を開こうと・・・今日オープンしたのですよ・・・・」
 美貴の言葉をキャプテンはまったく聞いていなかった。細い指で頭を洗ってもらい、まるでマッサージをされているようで心地よい眠気が彼を包んでいく。洗髪が終わり、美貴は台の背もたれを起こした。濡れた髪をタオルで水気を取り、ドライヤーで乾かしていく。キャプテンは心地よさに包まれて、美貴にされるがままになっていた。
 「本当に・・・上手だね・・・」
 「ありがとうございます!」
 美貴は微笑みながら言ったが、キャプテンの耳には届いていなかった。キャプテンは、軽い寝息を立て始めている。
 「あらら・・・(^^;;; 」
 美貴はキャプテンを起こさないように、静かに彼の体にビニールのシートをかけると、鋏で彼の短い髪のバランスを整えていく。それが終わると、再び台を静かに倒した。美貴は、手に何かを塗ると、両手を擦り合わせてそれを伸ばしていく。
 「それでは、フェイシャルをしますね!」
 美貴は、手に塗ったクリームをキャプテンのニキビが吹き出た顔に塗りつけていく。そして、美貴の細い指がキャプテンの顔にマッサージをしていく。
 「スーッ・・・スーッ・・・」
 キャプテンからは、心地よい寝息が聞こえている。気持ちよさそうに眠るキャプテンの顔を見て、美貴はニッコリ笑うと、その指に力を込めて行く。すると・・・。
 「エッ?!」
 驚いて手を止める美貴。震える指でキャプテンの鼻を触った。さっきまでの大きな団子鼻が、彼女と変わらない可愛らしい小さな鼻になっている。首を傾げながら、掌でキャプテンのニキビ面を撫でていく。すると、美貴の掌がキャプテンの顔を一度撫でるたびに、キャプテンのニキビ面はしだいに綺麗なすべすべした白い肌に変わっていく。美貴の掌が、大きな額を撫でていく。すると、しだいに額は狭くなり、太い眉は細く弓形の綺麗な眉に変わっていく。顔はいつしか、すっかり小さくなっていた。マッサージをしている美貴の細い指に、細く綺麗な長い髪が絡み付いてきた。驚いて手を止める美貴。短く刈り込んでいたはずの髪は、いつの間にか伸びて綺麗なロングヘアーになって散髪台から垂れ下がっている。
 「これって・・・」
 美貴がキャプテンの体を覆っていたビニール製のシートを取った。そしてその下の体を見た瞬間、美貴は言葉を失ってしまった。Tシャツとジーンズに包まれていた鍛え上げられた大柄な体は小さくなり、白いブラウスに包まれた胸には、大きな膨らみが出来ている。そこには、鍛え上げられた厚い胸板の名残は全くなかった。寸胴だった体には、ウエストに細い括れができ、丸く大きくなったヒップは、グレーのプリーツスカートが包んでいる。そこから伸びる足は細くなり、足からすね毛は綺麗になくなり脚線美と言って良いものを醸し出していた。小さくなった足をローファーの革靴が包んでいる。そこには、体育会系の男子学生ではなく、可愛らしい女子大生が可愛らしい寝息をたてながら座っているのだ。
 「これって・・・どうなっているの・・・?」
 美貴が困惑をしていると、
 「う・・・うーん・・・」
 キャプテン・・・・だった女の子が、伸びをしながら起き上がった。
 「終わったの?」
 可愛らしい声で訪ねる女の子になったばかりのキャプテンに、
 「ハイ・・・」
 「いくら?」
 「3000円です・・・」
 キャプテンだった女の子は、ブランド物のバッグから財布を取り出すと、寝ぼけ眼でお金を払って店を出て行く。
 『持ち物まで変わってる?!』
 驚きの目で女の子の後姿を見つめながら美貴は、
 「ありがとうございました!」
 女の子の後姿を見送りながら、明るい声で言った。



 まことが、コンビニで買い物をして寮に戻って来た。寮の玄関に可愛らしい女の子が入っていく。まことは、小首を傾げながら・・・。
 「見慣れない娘だな・・・こんな夜遅くにうちの寮に、何の用だろう・・・?」
 まことは、コンビニの袋を持ったまま女の子に駆け寄った。
 「あの〜〜?」
 まことが女の子の顔を覗き込むように声をかけた。女の子が眠そうな目でまことを見つめている。
 「この寮の誰かに用ですか?」
 「・・・エッ・・・?」
 女の子がハッとしたようにまことの顔を見つめた。
 「おまえ・・・俺がわからないのか?」
 女の子が、その外見に似合わない言葉遣いと、鋭い視線でまことの顔を睨みつけている。
 「その目と言葉遣いって・・・まさか・・・キャプテン?」
 「そうだよ! 見てわかるだろう? まこと!!」
 可愛らしい声で凄むキャプテンらしい?女の子に、
 「でも・・・その格好は・・・?」
 「エッ? 何を言って・・・」
 自分の体を見下ろしたキャプテンは、
 「エッ? これは・・・俺・・・なぜこんな格好を!!」
 驚いて自分の膨らんだ胸や、スカートに包まれた股間に手を当てる女の子を見てクスクスと笑うまこと・・・それは、少し前の自分の姿とダブって見えた。
 「おーい・・・まこと・・・酒のつまみを買ってきてくれたか?」
 ラグビー部員たちが玄関にやって来た。まことと一緒にいる女の子を見て、
 「あれ? まことの友達か?」
 「おまえたち・・・俺がわからないのか?!」
 女の子が、大きな瞳に涙を浮かべながら集まった大きな体のラグビー部員たちを見つめている。
 「まさか・・・・キャプテン?」
 瞳に涙を溜めた女の子が頷くと、
 「可愛い〜〜〜!!」
 「やった〜〜〜!! キャプテンも女の子に!」
 部員たちの喜ぶ様子を見てキャプテンが目を剥いた。
 「おまえたち!」
 怒りを込めて叫んでも、その可愛らしい声と今の姿では、当然以前の迫力はない。
 「おい・・・みんな・・・!」
 「「「オーッ!!」」」
 ラグビー部員たちが、キャプテンだった女の子に駆け寄ると、その柔らかく小さな体を軽々と持ち上げた。
 「おい・・・おまえたち・・・何を?!」
 「行くぞ!」
 「「「オーッ!!!!」」」
 「やめろー! 降ろせ!!」
 暴れる女の子を持ち上げたまま、ラグビー部員たちは楽しそうに女の子を部屋に運んでいく。まことは呆然と、その後姿を見送っていた。



 理髪店では、美貴がモップで床の掃除をしていた。
 「フ〜〜〜ッ・・・」
 額の汗を拭いながら、店のガラス戸から空を見上げる。夜空に浮かぶきれいな満月が、月明かりで街を照らしている。
 「びっくりしたなあ・・・突然女の子になっちゃうんだから・・・」
 美貴がクスクスと笑った。綺麗な月を見上げながら、
 「まあ、このお店・・・女の子のためのお店だし・・・女の子になれば、“また、絶対この店に来れる”わけだしね!」
 美貴は微笑みながらカーテンを閉めると、店の明かりを消した・・・。



 フェイシャル (終わり)









 こんにちは! 逃げ馬です。 今回の作品は以前に書いた短編作品・・・“コンパ!”の続編にあたる作品になります。
 まことくんは、女の子になったばかりでまだ戸惑っているようですが、キャプテンまでが女の子になってしまいました(^^;。
 そして、またまた登場の“女性専用シリーズ”作品でもあります(^^)。
 最近、大都市では、理髪店に来る女性客が増えているそうです。エステ的な要素や、パーマ屋さんでは顔を剃ってもらえないので・・・顔剃りは、理髪店でないとできないそうですね。そして、女性客を呼ぶために、入り口を別にしたり、男性客からは見えなくするなど、いろいろな手で女性客を呼んでいる理髪店も増えているそうです。そんな話を散髪をしてもらいながら聞いているうちに、この話を思いつきました(^^)。楽しんでいただけましたか?
 
 それでは、今回も最後までお付き合いいただいてありがとうございました。また、次回作でお会いしましょう!


 尚、この作品に登場する団体・個人は、実在のものとは一切関係のないことをお断りしておきます。


 2002年9月 逃げ馬






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