日傘



作:逃げ馬

 





 「ふ〜う・・・暑いなあ・・・」
 初夏の午後の日差しが容赦なく僕に降り注いでいる。
 その日も、大学の授業を終えた僕は、バイトに行くために急ぎ足で街を歩いていた。
 「こんなに暑いのに・・・バイトに行くのは嫌だなあ・・・」
 呟いたその時、
 「おーい・・・孝(たかし)!」
 後ろから聞こえた声に、思わず振り返った。
 「なんだ・・・剛士(つよし)か・・・」
 後ろから走ってきた背の高い男を見て僕は呟いた。
 「なんだよ・・・元気が無いなあ・・・」
 男が、僕の背中をポンと叩いた。
 「おまえこそ・・・この暑い中、元気だなあ・・・・」
 僕は、大きくため息をついた。男は僕と一緒に歩いて行く。

 彼は横山剛士。大学では、僕と同じゼミに所属している。目立たない・・・他の人と比べると、地味な僕とは違って、背は高くそのスタイルは、まるでモデルのようだ。性格も社交的で、ゼミの女の子たちにも人気があった。
 そんな対照的な性格・・・外見の僕たちだが、なぜかウマが合い、今では”親友”と自信を持って言える関係だった。

 「これからバイトに行くのか?」
 「うん・・・」
 僕たちは、大通りの交差点で立ち止まった。目の前をたくさんの車が猛スピードで走っていく。ふと、足元に視線を落とすと、電柱の下に花束が置かれていた。
 「それか?」
 剛士も気がついたようだ。
 「一昨日、ここで交通事故があったそうだから・・・家族か友達が供えたんだろうな」
 「そうか・・・」
 信号が青に変わった。僕たちは横断歩道を渡って行く。僕たちの前を、白い日傘をさした女の子が、綺麗な髪を靡かせながら歩いて行く。白いワンピースの裾が風に靡く。
 「おい・・・」
 剛士が僕に囁く。
 「なんだよ・・・」
 「前の女の子・・・可愛いよな!」
 剛士に言われて、僕も前を歩く女の子に視線を向けた。彼女は、僕たちと同じように横断歩道を渡って、歩道を歩いて行く。どちらかというと小柄な体。しかし、驚くほど白く綺麗な肌、大きな瞳、確かに、剛士の言うように可愛い女の子だった。
 「あんな娘が、うちのゼミにいればなぁ・・・」
 「馬鹿なことを言うなよ」
 僕は苦笑いをして剛士に向かって言った。
 「アッ?!」
 彼女が振り返った。僕たち二人は思わず立ち止まってしまった。彼女は、こちらを見てにっこりと微笑むと、角を曲がって歩き去って行った。
 「可愛いなあ・・・」
 剛士が呟くように言うと、
 「アッ?!」
 僕は時計を見ると、思わず声を上げていた。
 「どうしたんだ?」
 「やばい・・・バイトに遅れる!」
 僕は、思わず駆け出していた。
 「また明日な!!」
 僕は、剛士を振り返らずに声をかけると、彼女が曲がって行った角を曲がると、バイト先に急いだ。
 「気をつけてな!!」
 後ろから剛士の声が聞こえていた。



 「ふう・・・疲れたなあ・・・」
 僕は、ハンバーガーショップでのアルバイトが終わると、夜の街を足早に家に向かっていた。夜の街を家の窓から漏れる蛍光灯の光と、街灯の青白い光が照らしている。
 「あれ?」
 街灯の青白い光に照らし出された道の真ん中に、白い日傘が落ちている。僕はそれを手に取ると、傘を開いてみた。
 「これは・・・?」
 僕は、開いた傘をクルクルと回しながら眺めていた。その傘には見覚えがあった。
 「・・・あの女の子の傘じゃないか・・・」
 僕は、周りを見回してみた。しかし、彼女の姿は見えない。
 「ふむ・・・」
 僕は、傘をたたむとしばらくそれを見つめていた・・・やがて、その傘を持ったまま、下宿に向かって歩いて行った。



 「フ〜ウ・・・疲れたなあ・・・」
 僕は部屋の電気を点けると、背負っていた黒いデイパックをベッドに放り投げた。カーペットの上に傘を置くと、洗面所に行って水道から勢いよく水を出すと顔を洗った。タオルで乱暴に顔を拭くと部屋に戻ってきた。ふと、床に置いてある白い日傘に目が止まった。何気なく手に取ると、部屋の中で傘を開いてみた。夕方・・・この傘を持っていた女の子の姿を思い浮かべてみた。
 「可愛い娘だったなあ・・・」
 思わず呟いたその時、
 「アッ?!」
 青白い閃光が部屋を包んだ。咄嗟に僕は日傘を手放そうとしたが、体が痺れたように動かなくなり、そのまま意識が薄れていった・・・。


 
 『チュンチュン』
 窓の外から聞こえるスズメの声で、僕は目を覚ました。
 「うーん・・・」
 僕は床から、ゆっくりと体を起こした。
 「・・・なんだよ・・・床の上で寝ていたのか・・・僕は・・・」
 頭をぽりぽりと掻いたが・・・。
 「エッ?」
 右手に、長い髪が絡みついた。僕の髪がこんなに長いはずが・・・?思わず指に絡みついた細く綺麗な髪を目の前に引っ張る。
 「イテッ?!」
 僕の頭からは髪が引っ張られた痛みが・・・ということは?
 「これって・・・僕の髪?」
 事態が良く飲み込めない僕は、慌てて洗面所に走った。洗面所の鏡に映っていたのは・・・。
 「これは・・・あの日傘を持っていた女の子じゃないか?!」
 僕は自分の顔を撫でてみた。滑らかな肌の上を細く綺麗な指がなでる。鏡の中に映る女の子も、全く同じ動きをする。ということは・・・、
 「僕は・・・女の子になってしまったのか?」
 ふと下を見下ろすと、白いワンピースの胸を豊かな膨らみが押し上げている。
 「ワンピースって・・・」
 僕は、自分の胸に手を当てた。僕の細く綺麗な指が、胸の膨らみをワンピースの上から押さえた。僕の手のひらに、柔らかい感覚が伝わってくる。
 「どうしちゃったんだよ・・・・僕は?」
 僕は、フローリングの床に座り込んで呆然としていた。ふと見ると、見慣れた部屋の雰囲気がいつもと違う。周りを見回すと・・・・、
 「どうなっているんだ? これは・・・僕の部屋なのか?!」
 僕の部屋は、すっかり雰囲気が変わっていた。明るい色のカーテン、部屋の真ん中に置かれた可愛らしいテーブル。枕もとに置かれた大きなぬいぐるみ。そして、何よりも僕が驚いたのは、そのテーブルの上に置いてある女性雑誌の上に置かれたダイレクトメールだった。そこに書かれた宛名は・・・、
 「佐々木孝美様」
 僕は、声に出して読んだ後大きくため息をつきながら、そのダイレクトメールを見つめていた。
 「化粧品のダイレクトメール・・・僕は男だぞ!」
 テーブルの上に放り投げたその時、
 「さあ・・・・早く学校に行かなきゃ!」
 僕は、自分の意思に反して独り言を言うと同時に、立ち上がっていた。
 『エッ?』
 僕の体は、勝手に動いて鏡台の前に座ると、慣れた手つきで髪を整え、顔に化粧をしていく。
 『なにをやっているんだよ。僕は男なのに化粧なんて・・・だいたい、僕の部屋に女の子の化粧品なんてなかったのに!』
 僕は、心の中で必死に叫んでいた。しかし、そんなことにお構いなく、女の子になった僕の体は、身支度を済ませると、なぜか部屋にあったバッグと昨日僕が拾った日傘を持って部屋を出て行った。


 街を歩いていると、すれ違う男の視線が僕に集中する。僕は、自分の意思に反して白い日傘を差したまま、頬を赤く染めて俯いてしまった。
 『そんなに、じろじろと見るなよ!』
 僕は、心の中で思っていた。その時、
 「孝美! おはよう!!」
 後ろから声が聞こえた。僕の体が振り向く。後ろから剛士が走ってきた。
 『やばい!』
 僕は、心の中で悲鳴をあげた。しかし、
 「剛士君・・・おはよう!」
 僕の体は、ニッコリ微笑みながら、小さくてを振っていた。
 「さあ、一緒に行こう!」
 剛士は僕の目を見ながら言った。僕の体も小さく頷くと、一緒に並んで歩いて行く。僕の体は勝手に、剛士と腕を組んで歩いていた。
 『なにをやっているんだよ!』
 心の中で、僕は叫んでいる。しかし、女の子になった僕は、剛士の顔を覗き込むと、ニッコリと微笑んでいた。


 その日は、僕にとっては信じられないような一日だった。
 講義室では、いつも男子生徒たちが女の子になった僕の周りに集まってくる。しかし、不思議なことに、誰も女の子になった僕には疑問を持たないようだ。ごく自然に話し掛けてくる。そして、僕自身も石とは無関係に、体が自然に動いて大学での一日を過ごしていた・・・。


 そして、夕方になった・・・。

 「孝美・・・この後予定でもあるのか?」
 大学からの帰り道、剛士は日傘をさしている僕の顔を覗き込むように尋ねてきた。
 「ううん・・・別にないけど・・・」
 僕は、上目使いに剛士の顔を見つめた。
 「それなら・・・・これから一緒に晩御飯でも食べに行かないか? お腹もすいているしさ!」
 『エッ? こんな格好で?!』
 心の中で、悲鳴をあげたが、女の子になった僕は・・・、
 「うん・・・・」
 頬を赤く染めて頷いていた・・・。


 僕は女の子の姿のまま、洒落たレストランで剛士と一緒に食事をしていた。楽しい時間がたちまち過ぎて行く。男のときには、大食漢だった僕は、女の子になってしまうと、なぜかいつものようには食べることが出来なかった。嗜好までが変わってしまったのだろうか? それでも、デザートで出てきたケーキは、なぜか美味しく感じて、お腹の中に収まってしまっていた。


 食事を終えた僕と剛士は、いつの間にか、夜の運河沿いの遊歩道を歩いていた。周りのビルの明かりが、暗い運河の水面に映って揺れている。
 僕の前を歩いていた剛士が、突然振り向いた。僕も、剛士の目をしっかり見つめている。剛士が、逞しい腕で、すっかり小さくなった僕の肩を掴んだ。
 『やばいぞ!』
 剛士の目を見た僕の心が叫んでいる。しかし、女の子の僕は・・・、
 「・・・・」
 瞳を閉じて顔を剛士に向けていた。
 『そうじゃないだろう!!』
 心の中で叫んでいたが・・・・、やがて、女の子になった僕は、剛士とキスをしていた。
 僕の唇から、剛士の唇が離れていく。僕は目を開けて剛士を見つめた。
 「ありがとう・・・」
 剛士が僕を見つめながら小さな声で言った。女の子の僕は、頬を赤く染めて上目使いに剛士の顔を見つめていた。恥ずかしくて、まともに顔を見ることが出来ない。やがて・・・、
 「今日はありがとう・・・・」
 女の子の僕は、顔を上げて月明かりに照らされた剛士の顔を見ると、
 「さようなら・・・・」
 剛士が何か言おうとした。しかし、僕は白いワンピースの裾を靡かせながら、後ろを振り返らずに下宿に向かって走って行った。なぜか僕の目からは、いつまでも涙が溢れていた・・・。


 僕は、部屋に戻ってくると照明のスイッチを入れて床に座り込んだ。蛍光灯の光が部屋を照らし出し、白いワンピースの裾がフワッと床に広がった。僕の細く綺麗な足に、フローリングの床の冷たさを感じていた。
 「いったい・・・・いったいどうなっちゃったんだよ・・・僕は?!」
 ようやく自分の意思で体を動かすことが出来るようになった僕は、思わず叫んでいた。今日一日の出来事を思い出すと、あまりの恥ずかしさで顔が赤くなってくる。なにしろ、”親友”とキスをしてしまったのだから・・・。その時、僕の目の前の空中に、光の粒が集まってくると、光の球体が現れた。
 「エッ?!」
 やがて光の中に、白いワンピースを着た女の子が現れた。それは・・・まさに、今の僕の姿だ。
 「きみは?!」
 「ごめんなさい・・・私は、今日一日、あなたの体を借りていたの・・・・」
 「なぜ・・・なぜ・・・僕の体を?」
 彼女は、光の中で寂しそうに微笑むと、
 「わたしは・・・・本当の恋をしたことがなかった・・・・でも、あの日、初めて男の子と遊びに行くために、あの交差点を渡ろうとして車に・・・・」
 僕は、何も言えなかった・・・じっと光に包まれた彼女を見つめている。
 「私の思いは・・・あの日傘に残っていたの・・・その傘をあなたが・・・」
 僕は、部屋の入り口に置かれた白い日傘を見つめていた。
 「・・・今日は・・・ありがとう! 本当に良い思い出が出来たわ!」
 僕は、はっとして目の前に立つ彼女に視線を移した。
 「これで、心置きなく・・・・」
 彼女が呟いた。僕は声を出そうとしたが、なぜか声が出ない。彼女は微笑みながら僕に向かって手をかざした。やがて、僕の意識は暗い闇の底に落ちて行った。


 『チュンチュン・・・』
 窓の外から聞こえるスズメの声に、僕は目を覚ました。
 「うーん・・・・」
 僕は、フローリングの床に寝そべったまま伸びをした。そして・・・、
 「エッ?!」
 昨日の出来事を思い出して、僕は飛び起きた。思わず周りを、そして、自分の体を見下ろした。
 「・・・・」
 部屋は、いつもの見慣れた僕の部屋だった・・・・昨日までの”女の子の部屋”の痕跡はどこにもない。そして、からだも・・・。
 「元に・・・・戻ったのか?」
 思わず自分の体を撫でまわしていた。
 「どういうことなんだ・・・」
 僕は、部屋の入り口に視線を移した。底には、あの白い日傘が・・・。
 『ピンポーン・・・・』
 「おーい・・・孝! 起きているのか?!」
 玄関から、剛士の声が聞こえてきた。
 「ああ・・・今行くよ!」
 僕は、デイパックに教科書やノートを放り込むと、急ぎ足で部屋を出た。ドアの外には、剛士が立っていた。
 「遅いなあ・・・まだ寝ているかと思ったぜ!」
 「ああ・・・ごめん!」
 僕は、俯いてしまった。昨日の出来事を思い出して、剛士の顔をまともに見ることが出来ない。
 「なに赤い顔をしているんだよ・・・早く行こうぜ!」
 剛士が歩き出した。僕は慌てて部屋のドアを閉めようとした。その時、入り口においてある白い日傘が目に飛び込んできた。それを見ると、僕はなぜかホッとした。
 「おーい! 遅れるぞ!」
 剛士の声に、
 「ああ・・・今行くよ!」
 僕は、足早に剛士の後を追った。
 
 思い出を作った彼女は、たぶん天国に旅立ったのだろう。僕は、あの日傘は、ずっと持っているつもりだ・・・彼女の思い出に・・・そして・・・もう一人の僕が存在した思い出として・・・・。




 日傘(終わり)






 こんにちは! 逃げ馬です。
 久しぶりに、書き下ろしの新作です。 なかなかキーボードが進みませんでしたが、なんとか書き上げました(^^;
 この後は、新しい長編小説を書く予定です。また、更新間隔が長くなるかもしれませんが、気長にお待ちくださいね(^^;;;;
 それでは、また次回作でお会いしましょう。
 
 尚、この作品に登場する団体・個人は、実在のものとは、一切関係のないことをお断りしておきます。

 2002年6月 逃げ馬







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